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雑誌の仕事で小豆島を訪れた。
学生時代以来だから、ちょうど20年ぶりになる。
とはいえ、学生時分の入島目的は、所属していた軽音楽部の合宿に参加するがためで、小豆島がどんな島なのかななどまったく知らずに、毎年春休みになると1週間ほど滞在していたにすぎない。
覚えていることといえば、宿から少し歩いたところに閑かな砂浜が広がっていたくらいである。
その宿というのが一風変わっていて、ごく普通の旅館の一角に音楽用の練習スタジオが何部屋も備えられていた。ほとんど宿から出ることなく和室に雑魚寝し、一日中スタジオに籠っていたわけである。当時は何の疑いもなく毎年ギターを担いで船に乗っていたのだが、今から考えると、あの特殊な形態の旅館がよりによって小豆島にあったことが不思議でならない。

その後、ご多分にもれず瀬戸内の島々は2010年に始まった瀬戸内芸術祭(のち、2013、2016に開催)が話題を呼び、瀬戸内の長閑な気風とアート作品の合わせの妙は、日本のみならず世界から注目を寄せている。実際、今年は開催年ではないにも関わらず(閉幕後、小豆島に残る作品は3つ)、しばしば外国人の姿を目にした。
それから、年々島の人口は減少しているものの、移住者の数は増えているらしい。都会から若い世代が移住し、焼きたてのパン屋や、島の特産を使ったジェラート屋などがポツポツとオープンしている。

さて、我々は朝7時すぎの便で羽田から高松に飛び、高松港からフェリーに乗って1時間ほどで小豆島の土庄港に到着した。港が見えてきたところで甲板に出てみると、芳ばしい胡麻油の香りが鼻をつく。
港の近くには「カドヤ」と書かれた大きな工場がある。メイン工場がこの小豆島にあるのだという。名物の素麺にも胡麻油が練りこまれていたり、延ばした麺を干すときに塗ったりするらしい。

土庄港からほど近いところに小豆島霊場五十八番札所の西光寺があり、高台の上に立派な三重塔がそびえている。そのふもとの街並みが趣深い。
南北朝の戦乱期に南朝軍が敵陣の攻勢に備えて、複雑に入り組んだ町を作った。事前にその話を聞いて、いったいどんなところなんだろうかと想像していると、現代では違法風俗店が警察のガサ入れに備えて店内の通路を複雑にするという週刊誌の記事を思い出してしまった。
今も当時原型を残すその一帯は「迷路のまち」と呼ばれ、ひそかな観光地となっている。遠い過去には全国にこのような路地があったそうだが、今ではほとんどがなくなってしまったらしい。さすがに近現代の合理化された町づくりにはそぐわないのだろう。
「迷路」というだけあって、方向音痴の僕などはすぐに迷ってしまうほどによくできてる。「んーーー」と首をかしげては鮮やかな朱色に染まる三重塔を見上げる。その繰り返しが結構楽しい。

我々を出迎えてくれた胡麻油もさることながら、やはりこの島はオリーブと醤油である。
島の人は、刺身を食べるときにもお気に入りの醤油に、欠かさずお気に入りのオリーブオイルを垂らすのだそうだ。神奈川から移住して2年というSさんは、もはやオリーブオイルがないと刺身は物足りないとおっしゃっていた。
街中には至る所にオリーブの木が植えてある。
車で走っていると、風を受けてサラサラと白銀の光を放つ葉っぱが実に美しい。

漁港が少ないためか案外漁業従事者が少ないとのことだったが、夕食には鯛や栄螺のお造り、それにオリーブ牛の網焼きなど、山海の珍味に舌鼓を打ち、締めにはやはり素麺をいただいた。

朝起きると宿の前には、学生時代に見たときと同じく穏やかな乳白色の砂浜が広がっていた。
二十歳を境に3年間、毎年エレキギターの音と共に春を迎えていた小豆島の旅館「松屋」は、数年前に廃業したとのことだった。

2017.3.20   東京


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