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7年前の夏、僕は中国雲南省の小さな町にいた。
会社を辞めてフリーランスになる前、ホーチミン・シティから北京までを旅した、その途中だった。
雲南の食べ物、人、匂いはすべてが中国のそれとは異なっていた。ここは東南アジアだ、と思った。
4ヶ月ほどの旅だったが、結局そのうちの一ヶ月以上を居心地のいい雲南で過ごすことになった。

Iさんとはそんな旅の最中に、あるゲストハウスの部屋で出会った。僕とドイツ人の青年とIさんの三人に一室があてがわれていた。その宿は主人であるおばちゃんの手料理がとてもうまく、朝晩を外へ食べに出る客はほとんどいなかった。宿泊料に少し上乗せするだけで食事がついてくるというのも、貧乏旅行者の我々にはありがたかった。

毎日が満たされていた。
朝ご飯を食べ、写真を撮りにでかける。夕方ペコペコで帰ってくるとおばちゃんの作ったおかずをつまみに酒を飲んだ。とても心地よい速度で一日一日が過ぎていった。帰国後フィルムを現像してみて、愕然としたほどに写真の出来は悪かったが、あの宿で過ごした10日あまりは今までになく充実した日々だったと思っている。

Iさんは僕より少し年下で、たしか山陰の出身だと言っていた。彼は中国を南下してインドシナに入る、僕とは全く逆のルートをとるつもりでいるらしかった。だから僕が回って来たベトナムやカンボジアのことを話すと熱心に聞き入っていた。
Iさんの目を今でもよく覚えている。一見鋭く強面に見える彼は第一印象はあまりよくなかった。しかし、彼の話す旅の話ははとても特徴的だった。多くは語らない、しかし、楽しかったこと、つらかったこと、腹の立ったことすべてがその細くつり上がった目にいきいきと写し出された。
そして僕が話す時も彼は 大げさな反応は見せず、軽い笑顔と、目でもって相づちを打ってくれた。

帰国後しばらくしてIさんと池袋の安い居酒屋で酒を飲んだ。やはり、同じ目をしていた。雲南での印象と変わらない彼をみて少しホッとしたことを覚えている。僕は旅先で出会う日本人と帰国してから再会するということはまずない。しかしなぜかIさんとは会う機会に恵まれた。そのとき再び彼の目を見てこの人とはこの先も縁が切れることはないのではないかという気がしていた。

7年前のその旅の間、僕はしばしば考え込んでしまうことがあった。「日本に帰って写真で食っていけるのか」「もしどうにもならなかったら、いったい何をやって生きていけばいいのか」。宿の庭のベンチからどこまでも広がる青い空を見上げたときにもそういう不安が一気にこみ上げた。そんなときにIさんの目は僕の心に「中田さんなら大丈夫ですよ」と諭してくれているように思えた。

池袋で会って以来6年以上音信不通になっていたIさんから、先日メールが届いた。

「活躍されてるようで何よりです。安心しました。」

僕の脳裏には彼の声ではなく、目の奥の輝きが鮮明に浮かび上がった。
自分の名前が入った書物が 世に出るというのは、「僕は元気にやっています」というメッセージを送っているということでもあるのかもしれない。

その後Iさんは故郷に帰り、自然の中で暮らしている。

2011/2/18  東京


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