Read More


58

Share

公の節電効果で夜になると都内各所の駅や繁華街はまだまだ薄暗い。福島の原発問題も目が離せない状況が続いていいる。

そんな中、春のセンバツ甲子園で、母校の校歌が流れた。

21世紀枠での初出場というチャレンジャーな立ち位置ながら、初戦、強豪報徳学園を相手に見事な試合を繰り広げ、勝利をものにした。
はらはらする場面もあったが、9回表に4番の竹内選手が放ったライナーがレフトスタンドへの突き刺さる瞬間には両手の拳にぐっと力が入った。比べようもない20年前の自分を照らし合わせ、脱帽するばかりだった。

高校時代、僕は吹奏楽部に所属していた。
甲子園の時期がくると野球部の勝ち進み具合を気にしていた。もしも甲子園出場となれば吹奏楽部も応援団の一員としてスタンドに入ることになるからだ。
毎年、時期を同じくして吹奏楽の大会も近づいていた。ひょっとすると他の部員はそんなことを微塵も考えていなかったかもしれない。とにかく僕は小さいころから野球が好きで、甲子園に対する憧れがあった。

小学校のころ、あの名将蔦文也監督率いる池田高校の甲子園での活躍を目の当たりにした。母親に連れて行ってもらった甲子園球場は、近所の空き地がグラウンドだった僕には、当たり前だが別世界だった。足がすくんでしまうような大舞台で、徳島の山中にある小さな公立高校が勝ち進んでいく勇姿は、今になっても僕の脳裏から褪せることとのない強烈な出来事だった。
試合中の応援団の存在感もすごかった。トランペットや大太鼓の迫力ある音色は選手ひとりひとりの心に響き、プレーへの大きな原動力になっていたことだろう。

しかし、今年のセンバツはテレビで試合を見ていても様子が違う。
「鳴り物応援禁止」。
ここでも、「自粛」とのこと。

そんなことをして意味があるのだろうか。
開催すると決めた以上、やるならちゃんとやるべきだ。

甲子園は高校球児たちにとっての夢の舞台であるとともに、応援団にとっても紛れもない聖地なのだ。

センバツ出場が決まってから普段の練習に加えて応援歌の特訓をし、一丸となって甲子園に乗り込むつもりだった吹奏楽部の後輩たちの失意を思うと、やりきれない気持ちでいっぱいになる。

2011.3.29  東京


58

Share