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地震から二ヶ月が過ぎた。

直後は仕事がキャンセルになったり、被爆からの避難を他人に促されたりと多少の混乱はあったが、その後は中国や台湾へ出かけたり、事務所でデスクワークに追われたりと、生活だけを見れば以前と相も変わらない日々を送っている。
今日も4時前に目覚ましを合わせて起床し、始発に近い電車で事務所を経由して、比叡山の麓で仕事をしてきた。今、帰りの新幹線でこれを書いている。

しかし、未だに福島で放出され続けている放射性物質への違和感はどうしても拭えずにいる。
あまり知られていないようだが、放射性物質の検出量は東京と西日本でそう違わない数値を示している(もちろん変動的ではあるが)。つまり汚染は列島を跨いだ蔓延状態にまで広がってしまっているというとだ。

最近インターネットで、ちょこちょことチェルノブイリの映像を見ている。
チェルノブイリの事故直後、当時のソ連政府はその報道の一切に圧力をかけた。爆発が起き、大量の放射線物質が流れ出した直後も、となり町では人々が何も知らされず悠々と日々の生活を送っていたのだ。

放射性物質は目に見えないし、枝野幸雄が会見で言っていたとおり「直ちに健康を害することはない」ことも確かである。あの報道はまったくもって国民をバカにしているとしか思えない。それほどに、これまでにない危機的状況を前にして、トップまでがパニックに陥っていると考えざるを得ない。

チェルノブイリとフクシマ。
振り返って報道を見ていると、僕の目には完全にダブって映ってしまうのだ。もし、この先も同じような対応が進んでいくとすれば、背筋の凍る思いである。

チェルノブイリの周辺で多様な人体的異変が起こり始めたのは、事故から約10年後だった。被爆した母親の胎児には奇形が発生し、子供たちは尋常ではない確率で甲状腺ガンを発病し、意識障害や記憶障害が大人たちの脳をじわじわと蝕んでいった。
10年にわたり、見えない猛毒に晒されたことが悲劇を生み、それすらもほとんど公表されないまま現在も被害は続いている。

前途したように、チェルノブイリとフクシマの事後対応は酷似している。
10年後。20年後。僕の脳みそはスカスカになり廃人になっているかもしれない。

そう思うなら一刻も早く避難すればいいではないか、日本が手遅れなら海外へ移住すればいいではないか、と言われるかもしれない。
もっともだと思う。

しかし、僕は東京に事務所を構える一介のフリーランスである。都心に集中する出版社や広告代理店から仕事を依頼されることで生計が成り立っている。撮影の現場が海外や地方だとしても、ある程度は都心をベースに活動しなければならないという現状がある。

「仕事と健康、どっちが大事なんだ?」

そう問われると、それはもちろん、「健康」である。理屈では重々承知している。しかし、だからといって今すぐすべての仕事を放棄してどこか遠くへ移住することは、僕にはできない。それだけの力と潔さが、僕にはない。だから僕は今回の放射性物質の流出に関して、他人と議論することもできない。自分の理想と現実のギャップを埋められずにいるからだ。

写真家を目指して上京してからの10年という年月が、将来自分の健康を害するかもしれない、目には見えない魔の手への意識を、なし崩しにしてしまっているのかもしれない。

2011.5.12


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