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震度5強。
僕は自宅で呑気に餃子の皮なぞをこねていた。
突然、という感じではなく、考えて逃げ場を確保する時間があった。時間と言っても まともに歩けるのは数秒だったとは思う。だがそれでも、椅子を押しのけ、テーブルの下に滑り込むには十分な時間的余裕があった。午後2時台という活動的な時間帯であったことも幸運だった。

阪神淡路大震災当時、僕は京都市内に住む19歳の大学一年生だった。地震発生時はまだ夜も明けぬ早朝、当然布団の中だった。大きな揺れで目が覚めたとき、すでに動ける状態ではなかった。それが動けないほどの揺れだったのかパニックからだったからなのかは今となっては覚えていないが、とにかく布団にくるまったまま、ただただ事が収まるのを待つしかなかった。

当時の京都は震度5。「5」と「5強」にどれくらいの科学的な差があるのかわからないが、今回のほうが明らかに大きく、長い揺れを感じた。
僕は今回、阪神淡路の時に経験していなかったらあれだけスムーズに対応できなかったかもしれない。「免疫」と「対策」が本能的にできていた。

これは僕個人的なことではないと思う。阪神淡路大震災以来、今日まで国の地震に対する注意と警戒は目に見えて高まる一方だった。何かがあるたびに「東海地震」とか「首都直下型」とかいう言葉が巷で聞こえてくるような十数年だった。

それでも、このパニック。
今回の地震の規模が予測をはるかに上回ったこと、そして所詮は人間の備えなど、自然の力の前にはあまりに無力だということを一国の総力をもって思い知った結果になった。

さらに、福島第一原発の「人為的事故」は今回の大地震における我が国がかつて経験していない大きな問題である。
これに関しては、テレビの報道を見ていても実態がまったくつかめない。ネット上での情報も錯綜している。こういう事態においては、日頃から信用に値すると思っている識者の意見を軸にし、自分なりのメディアリテラシーと疑問を持って行動しようと努めることくらいしか、僕は頭に浮かばない。

度重なる「想定外」の爆発、炎上、焼け石に水のような上空からの放水を目の当たりにして、最悪の事態も考慮に入れているのは僕だけでなないはずだ。

2011.3.18 名古屋


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