雲南省から内モンゴル自治区への列車旅を終え、帰国した。
北上するにつれ気温は下がり、内モンゴルのフフホトは氷点下10度を下回っていた。
体験から、マイナス10℃というのはひとつの寒さの基準であるように思う。
マイナス10℃をこえると、身体が感じる寒さの質が変わるような気がするのだ。
身体が固くなり、「お、これは耳を隠さんといかん」と思うと、だいたいマイナス10℃に達している。
東南アジアの旅も良いが、たまには極寒の地でちぎれそうになる指先をかばいながらカメラを構えるのも存外悪くないものである。
今回僕たちが辿ったルートは、かつて山西商人が行商の旅をした道でもある。南方で仕入れた品物を積み込んだ彼らは、ゆっくりと北を目指した。「帰化」とよばれた今のフフホトで馬からラクダに乗り換え、モンゴルへ。
そして、シベリアを経てヨーロッパへたどり着くのである。
キャフタ条約やネルチンスク条約を歴史の授業で習ったときは、帝政ロシアと清朝の間で国境が制定されたというくらいにしか理解してなかった。しかしそれは、北のルートでアジアとヨーロッパが結ばれる歴史的な幕開けだったのだ。
後に日本に伝わってきた中国の文化の中には、一度ヨーロッパを経てきたものもある。
ひとつの国境が開くだけで、何万キロに及ぶ物資や文化の往来を生んだのは、人が山を越え、河を渡り、道なき道を旅してきたからに他ならない。
飛行機で飛び、数日を過ごしてまた飛行機で帰ってくる。それが今の多くの旅行のスタイルである。旅行だけでなく、僕のような旅の写真を撮るカメラマンにとってもそれは同じことある。現地へ飛び、コーディネーターと相談しながら数日間でその町の様子を切り取って帰ってくる。特集記事の多くはそうやって作られる。
このご時世、予算が充てられ、そのように取材撮影が出来る媒体からオファーがくることは非常にありがたいことである。実際数日で何ページにもわたる特集記事を撮ることは簡単ではなく、緊張感とやりがいのある仕事である。
今回の中国縦断を経て、そんな貴重な仕事を大切にしないといけないということ、そして、やはり旅を続けなければいけないことを改めて感じた。
旅とは点と点を結ぶことであり、もっと言えば点の先にまだ見えない点を作ることである。
今回辿った山西商人の足跡が、あらためて旅の意味と喜びと教えてくれた気がする。
今年一年もこのブログを読んでいただいた方々に心より感謝します。
来年も良い旅ができますように。
2015.12.31