マンダレーから夜行列車に乗ること24時間。
500キロほどの距離に24時間かけるということから、列車のレベルが知れると思う。
ただ、僕らは1両だけ連結されている寝台車の切符を取ることができたので、何の問題もなく快適な一晩を過ごすことができた。
エアコンはなく、虫の死骸がごろごろ転がっているような寝台とはいえ、木のベンチシートと比べると天と地ほどの差がある。
南北に流れる大河、エーヤワディー川(旧称イラワジ川)の東のほとりにあるミッチーナは、高い建物がなく、静かでのんびりした町だった。
終戦の一年前、多勢の連合軍を相手に日本軍の小隊が最後の力をふりしぼって立ちはだかった激戦地でもある。どう考えても我が国に勝機はないと悟った名将水上源蔵は、断固前進を支持する軍司令部に背いて隊を撤退させ、そして自決した。
考えるに、撤退した小隊は、南西を目指し、バンコクまでたどり着けばなんとか生き延びれたかもしれない。しかし、食料はなく、マラリアの脅威にさらされながらでは、あまりに遠すぎる道のりだっただろう。想像を絶する退路だったに違いない。
早朝、お寺でお祈りをし、お茶を飲みに川沿いのカフェに入った。週末とあってか、テーブルは朝ごはんを食べに来た若い男女で賑わっていた。
となりには、川に向かって突き出したレストランが一軒。テラス席はオープンエアになっている。夕涼みには特別席になるに違いない。
今後のスケジュールを考えると残念ながら泊まることは叶わなかったが、今度は夕日に照らされたエーヤワディー川を眺めながら、ゆっくりビールが飲みたい。
2016.10.10 ミャンマー マンダレー