前項、デリーからのつづき。
デリーのバハールガンジー通りの安宿でぐっすり眠った翌日、ガヤへ向けて出発した。
ニューデリー駅の2階には外国人用のチケットカウンターなる画期的な施設があり、我々外国人ツーリストはスムーズに切符を買うことができる。ここの職員は、ローカルの窓口にいる職員よりいくらかやさしい気がする。
僕らの列車は定刻通り早朝に出発し、東へ向かって順調に走り出した。少なくとも途中まではそうだった。
物好きなインド人たちと世間話に興じたり、チャイを飲んだりしながら、列車旅の気楽な時間は淡々と進んでいく。
7、8年前からアジアの列車旅をテーマに写真を撮っていて、今回はその撮影も兼ねてのデリー行脚である。
車内も車窓も、他のアジア諸国とは違った、インド情緒にあふれていた。
ただ、暑かった。
この時期のインドは一年でもっとも暑く、誠に残念ながらちょっとでも旅費を節約したい僕の乗る2等車両にエアコン設備はない。
走っている間はまだいいが、止まると息が苦しくなるような湿気と温度が車内にこもる。
長い旅路では昼寝をするのも優雅なひとときだが、シャツがベッタリと張りつくような不快な車内で眠ることなど到底できっこない。
暑さに加えて、日が傾きかけたあたりから不穏な空気が漂い始めた。
となりのシィク教徒のおじさんが時計を見ては首を横に振っている。
どうやらこの列車、遅延しているようだ。しかも大幅に。
僕らの目的地はガヤという町で、予定では23時ごろに着く予定だった。
「インドの列車をあまく見てはいけない」
それはわかっているつもりだったが、アムリトサル-デリーだって概ね順調だったじゃないか、なんだかんだ言って最近のインド列車は前ほど劣悪ではなかろうて。そう思いたかった。
やがてとっぷりと日は暮れ、消灯の時間になった。
しかし、車内の酷暑はまったくといっていいほどおさまらず、停車するたびに天井の扇風機からは熱風が吹き降ろしてくる。
さっきのシィクのおじさんは早々に上半身裸になり、横にはなっているが寝付けずにウーウー唸っている。
暑さは深夜になってもおさまらず、いっこうにガヤに着く気配もない。
暑い。とにかく暑くてじっとしていられない。本来ならば今ごろエアコンの効いたガヤのホテルですやすやと眠っているはずなのに……。
ふとみると、シィクおじさんはついにトレードマークであるターバンを外している。
背に腹はかえられない。
結局、ガヤについたのは翌朝の7時前。実に7時間以上もの遅延である。
毎年、この時期のインドは死人が出るほどの暑さになる。
長距離列車に乗る際は、水をたっぷりと、それから汗拭き用のタオル………いやそれよりもエアコンのある1等車両に乗ることをおすすめする。
翌々日、帰国のため、ガヤからデリーに飛行機でもどったのだが、着陸寸前に、現在のデリーの気温が43度だとアナウンスされた。
そういえば、日本の史上最高気温は、2013年に高知の江川崎で観測された、摂氏41度らしい。
中田