仙台駅から車で30分足らずのところに、仙台市若林区荒浜という場所がある。
今は市の管轄地になっていて人家は一軒もない。
かつては800世帯、2200人が暮らす、海辺の長閑な町だったのだが、8年前の今日、多くの家が津波にのまれ、流された。
海から700m内陸にその小学校はある。
一帯に一棟の建物もないなかに、ポツンとある。
津波の直撃を受けたものの、鉄筋の頑丈な校舎は今もどっしりと構えている。
震災後、一度は再開したが、2016年、ついに閉校となった。
震災後4年で卒業できた生徒もいれば、転校せざるをえなかった生徒もいるだろう。
周囲が見渡すかぎりが平地になった今、避難先からの通学は不可能であることは容易に想像できる。
津波は2階部分まで達したらしい。
現在この小学校は、震災遺構として一般公開されていて、1階のエントランスや給食室は当時のままの状態で保存されている。
海辺近くに暮らしていた方の話を少し聞くことができた。
もともとこの地には津波が来ないという俗説が広く信じられていて、特に高齢者の中には震度6弱の大地震がおきてもガンとして、自宅から出なかった人も多かったらしい。
実は地震発生から津波までのあいだには、1時間の時間差があった。
このラグが致命的だったという。
災害がおきた際の避難所はこの小学校と決まっていた。
一旦は校庭まで避難する住民も多かったが、本震がおさまり余震に慣れてくると、置いてきたペットを迎えに行ったり、着るものや食べるものを取りに帰る人が後を絶たなかった。それがちょうど地震発生から一時間後くらいのタイミングだったらしい。
津波は建物を押し潰し、残骸を運んでくる。
要するに、津波の先頭は瓦礫の塊なのだ。津波が「黒い壁」に見えるとはそういうことである。
小学校の屋上から見る海は穏やかだったが、8年前の光景を想像すると足が震えた。
仙台市だけで1000人近くの方が亡くなった。しかし、この屋上に駆け上り、寒さと飢えに耐え続けた全校生徒91人、全員が無事だったとのことである。