先日告知させていただいた「LADAKH LADAKH」刊行記念のトークショーは、おかげさまで東京、大阪両会場とも定員を上回るお申し込みをいただいたようだ。
まだ増席や立ち見もあるかもしれないので、ぜひご検討いただきたい。
トークショーの準備もしないといけないのだが、1週間ほど前からソウルに滞在し、料理屋を回っては写真を撮り、食べて飲んでの日々を送っている。
韓国の料理屋は基本的に何かの専門店であることが多い。
サイドメニューこそあるが、あくまで看板メニューは決まっており、客はその料理を目当てに来店する。
たとえば、サムギョプサル(豚の三枚肉の焼肉)、ビピンパ、チヂミ、タッカルビなどおなじみの料理も、そのほとんどはそれぞれの専門店で食べるのが通常である。
東京、新大久保は日本随一のコリアンタウンだが、だいたいどの店も上記の品に加えてプルコギやチャプチェなど、メジャーどころはひととおりとりそろえている場合が多い。だから、いくら本場の料理人を呼び寄せても専門外の料理を作らざるをえず、当然のことながら味がボケる。
「今日は韓国料理を食べに行くか」ではなく、「今日はタッカンマリで焼酎だな」というのが、韓国に来てこそ楽しめる、本来の食べ方なのである。
ただ、明洞(ミョンドン)にある店は新大久保のそれに近い。
それは、ご存知のとおり明洞は外国人観光客が集まるソウル屈指の繁華街であり、マッサージ、コスメ、土産物屋、料理屋などのすべてが観光客向けにつくられた、ある種特殊なエリアであるからだ。
毎年のようにソウルには来ているが、ここ10年ほど明洞に近づくことがなかった。
僕のような食い物にしか目のないおじさん旅行者には用のない街なのである。
しかし今回出版社が用意してくれた宿が明洞の目と鼻の先にあり、大衆向けの新媒体製作上、仕事もからんで毎日のように明洞に出向いている。
明洞では韓国語はほとんど聞こえてこない。
日本語40%、中国語40%、その他20%というところである。
とにかく日本人と中国人の女子だらけで、特に目立つのが日本人の母娘だ。
春休みとあってか、小学生、中学生のお嬢さんとお母さんという組み合わせをよくよく目にするのだが、これがなんとも微笑ましい。親子間での殺人までもが横行する狂った時代に、笑いながら買い物に興じている母娘が、それもわんさかいるのを見ると心が休まる思いになる。聞けば、娘に連れてこられたお母さんがしっかり韓国にハマるケースも少なくないという。
3日前、先に帰国する編集者と明洞のとなりにある南大門市場でチョッパル(豚足)をつまんでほろ酔いになったあと、前述の明洞にある居酒屋風の店を覗いてみると、深夜にもかかわらず大勢の日本人で賑わっており、中には親子三代でわいわい飲み食いする家族もいた。
その光景を眺めつつ、案の定まぁまぁのチャプチェをつまみに仕上げのチャミスルを飲みながらふと考えたことは、やはり、この瞬間、日本で背広を着て働くお父さんたちの背中である。がしかし、それもまた、家族の微笑ましいカタチなのかもしれない。
そしてなにより、若者の海外志向が減速する中で、たとえお隣りとはいえ、地下鉄を乗り継いてお目当てのカフェにたどりつき、言葉の壁を乗り越えて屋台のチーズドックを買い食いし、見たことのない真っ赤な鍋のおいしさに目を見開いているという事実を目の当たりにできたことが、この旅の大きな収穫であった。